妻の必需品
2006 / 04 / 30 ( Sun )

妻の必需品といったら、これ。

綿の手袋です。


102-0220_IMG.jpg


これを常時、動く方の手にはめてさせてます。

あまり厚手の手袋だと、指が動かしづらいでしょうし、
夏は蒸れちゃう。それで、この薄手の綿のやつに。

というのも、無意識なのか、くせになってしまったのか、
入院中(意識のない頃から)からずっと手の爪同士を
がりがりこすり合わせたり、爪の脇の皮をひっかき
むしってしまったり。


出血するだけならまだしも、最悪バイ菌が入って、
指が腫れて「ひょうそ」になったことも2回ほど。。。


そこで、苦肉の策として訪看さんのアドバイスもあり、
手袋着用作戦に。

これをはめていれば、ハッと気づいてやめるだろう
とのもくろみでした。


しか〜し、残念ながら、それでも辞めないから・・・・
この手袋、一月もてばいい方です。
もちろん、毎日取り替えて洗濯しているせいもありますが、
穴が開いちゃうほどなんです^^;)


当たり前ですが、手袋は1組(2枚)入りなので、
妻の場合は片手だけはめるから、2回使えるわけですが・・・


うーん、一組で2度おいしい、じゃないか。。。オイオイ( ̄  ̄)ノ ☆)>o<)

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ついにこの日が。 (最終回)〜リハビリ回顧録5〜
2006 / 04 / 27 ( Thu )

在宅訓練も終え、いよいよ妻がうちへ戻る日が。


■497日目
リハビリ病院の看護師から、退院後の大学病院への検診の予約を
行うか否か聞かれる。
脳外科はすでに前回予約してきているが、血液内科は特に再診
しろとも言われなかったし、
予約はしていないと伝える。
白血球の数が相変わらず少なくて、やはり膠原病が疑われると
リハの内科医が思うのならば予約を入れてくれと伝える。
リハ病院から大学病院への連携はイマイチだな〜。


■499日目
リハ病院の看護師よりやはり血液内科も受けた方が良いと
のことで内科医より予約を入れたと聞く。
昼には、訪問看護のステーションから入室スケジュールの
確認と主治医の指示書の提出を依頼される。
毎週1回入ってくれることが決定。


■502日目
いよいよ残り1週間を切る。在宅介護に向けて細かい介護グッズ
(紙おむつとか、ヘルパー用のディスポの手袋、防水シーツ等々)
を買う。妻の夕食を介助。ご飯の盛りが少ないこともあり、10分
足らずで食べられた。食後はトイレ、歯磨きも自分が介助する。


■504日
以前に断られた隣の市のNPOの主催者が、知人で、妻本人の状態を
見て自分でも出来そうだったらやってもいいと言う方が居ると聞く。
しかし、一人だけなので、代わりもいないこと、
すでに業者も決定
していることを伝え丁重に断る。


スタート時は、身障者の支援費制度による受給時間は全然少なくて、
巡回型のヘルパー派遣のA社+長期滞在型のB社+デイサービス
(当初は週1回)+足りない時間はB社のヘルパーが家政婦扱いの実費
で入ってくれる(こちらの方が料金的に安い)ということになった。

■506〜507日目
PTの方に歩行等についてメモ書きで質問をし、回答を頂く。
STの方も在宅でできそうな訓練用の資料をコピーしてくれた。
最後の入浴日でもあったので、それに必要なもの以外は
うちへ少しずつ持ち帰る。


☆508日目☆
倒れてから約1年5ヶ月弱。ずっと入院生活だったけど、
ようやく妻が退院。


薬局で薬をもらい、看護師からは在宅介護の手引き
や主治医、デイサービス等への申し送り書などを渡される。

3時半頃、B社の経営者が来て、契約の説明と本人の容態を確認。
契約書は後日となる。

5時半には、A社のヘルパー(初めはセンター長が入室)が来て
契約説明、契約の他、トイレ介助なども行って帰る。

夜は、夏で暑いので、シャワーだけ自分が介助して浴びさせる。
妻もさっぱりしたのか、気持ちよさそうだった。
うちに帰って寝るまではずっと車いすとテーブルのイスに
座っていられたが、さすがに夜は疲れたのかすやすや寝ていた。

☆今回で、妻の発症から退院までの回顧録は最終回☆

だらだらと、まとまりのない記事を続けて読んで頂き
ありがとうございました。


ブログはこれからも更新していきますよ^^)
頻度的にはso-netの方が多くなるかもです。

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22 : 28 : 26 | 発症〜入院期の回顧録 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
身障者の高速道路料金割引;有効期限って
2006 / 04 / 23 ( Sun )

身障者の優遇措置として、高速道路などの有料道路
料金割引というのがある。


これには、妻を連れて遠出するときには助かっている。
(遠出はなにかと大変なので、めったにないことですが)

以前は割引券があったようだが、不正、偽装使用
のせいか、今は
身障者の手帳の最後のページに
ポンと割引のスタンプが押してあるだけ。


これを料金所で係の人に見せるわけであるが、
この割引の下に「有効期限」が書いてあって、それがたった
1年間。(レンタルビデオの会員券みたいだ)


登録できる車も1台のみで、その車のナンバーも書かれている。
車を買いかえて、或いは身障者の等級が変更となって
更新するなら、話もわかる。


なーんにも変わってないのに、毎年っすか?
しかも、それだけのために役所に仕事を休んでいかなけきゃ
いけないのか・・・・

本人確認と手帳を見せればOKとかに出来ないのかな〜。

今日は、しっかりと手帳の中も見られ、期限切れ発覚。
しっかり、往復とも通常料金払ってきました。

でも、なぜか、首都高某線はOKでした。

なにかと手続だらけなので、こんなところも簡素化できない
ものでしょうかね。


 

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22 : 43 : 49 | 介護・行政 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
外泊訓練   〜リハビリ回顧録4〜
2006 / 04 / 19 ( Wed )

退院が近づくと、在宅介護に向けた手続なども増えてくる。
また、退院前の外泊訓練も行われた。

■470日目
TVを見ていたので番組名をきくと、「ミリオネア」と答える!
この番組だけは興味をもってみている感じである。


■475日目
面会時妻の装具がないな〜と探していると、PTの方が装具を片手に
入ってくる。装具のかかとは、尖足のためハイヒールのように上げて
あったのだが、削ってフラットにし、滑り止めをつけたとの事。
内張側のパッドも退院までには、もう少し削れそうとの事で、尖足も
ずいぶんと解消して、短いの距離だが、歩行も安定してきたようである。


■479日目
デイサービスの事業所に出す診断書の受け取り。
リハ病院のSWからは、大学病院の脳外科の方で、訪問看護の
指示書を書いてもらうよう依頼を受ける。


■482〜485日目
・介護用品屋から、ベッド、介護用品(入浴グッズ)の納品の連絡と搬入。

・在宅介護ヘルパーについて、市のボランティアステーションや社会福祉協議会
にTEL。前者はそのようなボランティアはなしとの回答、後者は応対が役所的で
全然良くなかった。

・妻の実家へ引っ越す前に住んでいた市のNPO 団体にも問い合わせていたところ、
すごく気に掛けて頂き、市外、遠方への派遣はムリとのことで、
加盟してる団体の「市民協」を紹介してくれる。

・「市民協」から、現在住んでいる市内にNPO団体はひとつもなく、市外に3カ所ある
ときく。電話するが、3カ所とも身障の方はやっていない(介護保険のみ)との回答。


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23 : 19 : 56 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
在宅へ向けて    〜リハビリ回顧録3〜
2006 / 04 / 16 ( Sun )

水頭症のシャントもようやくトラブルなくきており、リハビリは順調
いよいよ在宅へ向けての準備を。


■440日目
有休を取り、看護師より、日常生活面の事、各リハビリ担当より
くんれんの状況を聞く。お義父さん、義妹も同席。

(看護師より)
食事、排泄、整容など日常生活面について説明。
こちらから確認、介護の疑問点について質問をする。

(OTより)
自発性に乏しいが、ハミガキ、洗面など片手でやっているそうだ。

(STより)
発話はきわめて少なく、あいまいな点も多く、読み書きは厳しい。
自分の名前はなんとか書いている。

(PTより)
訓練室にて、数段の段差(階段)の歩行練習、入浴介助
(着衣のまま)の方法を学ぶ。用具についてもアドバイスを
頂く。


■443日目
病室にはいると、ちょうどPTの方がいて、メモを残そうとして
いたところとの事で直接話ができる。
段差を18cmまで上げてもなんとか足が上がっているとのこと。
自宅に訪問して、玄関、風呂場等の手すりの取り付け位置など
を確認したいとのこと、妻も連れて行くことに。

■450日目
市役所の聞き取り調査のため有休。
障害福祉課の方が他市にあるこのリハ病院まで来てくれる。
妻のベッドからの立ち上がり、車いすへの移乗などを見る。
ベッドの助成申請、車いすの申請などを行う。
身障者の支援制度の申請も行うが、やはり朝から晩まで
ヘルパーに来てもらうというのは厳しいとのこと。
昼は社会福祉協議会のランチサービスを利用してはとの
アドバイスを頂く。


 


 

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22 : 15 : 06 | 発症〜入院期の回顧録 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
私も帰る!!   〜リハビリ回顧録2〜
2006 / 04 / 15 ( Sat )

三たびリハビリ病院に戻ってから、1ヶ月がすぎる。
ただ、GWもあり、その間リハが休みなのはもったいなかった。


■409日目
はしも使って食事をしてみる。おかゆ、野菜などを食べる。
20分くらいで食べられるように。
トイレ介助を体験。院内のトイレはもちろん手すりつきで
思ったよりしっかりと立ってくれるので介助は楽だった。

■411日目
妻の実家へいき、お義父さん、義妹を交えて、話し合う。
お義父さんは相変わらず何の意見も言わないが、義妹さんが
ネットで調べた物をくれる。

いきなり在宅は厳しいだろうから、先生の言うように療養型か
可能なら別のリハ病院等でリハビリをしてワンクッション置いてから
実家に移り住むのが良いのではということになる。
在宅だと実家に住むことになりそうなので、間取りや
各所の採寸もさせてもらう。
面会時間がすぎて、帰ろうとすると、
妻も「私も帰る」といって起きあがろうとする。
危ないので懸命に諭すがなかなかわかってくれない。

妻も何か懸命に話そうとするが、言葉が出ずにしまいには泣き出す。
もうだいぶ時間が経ったのに落ち着かず、自分にも「帰るな」と
言い出す。看護師を呼んでなだめてもらう。
その間にだんなさんは帰ってということでお任せして帰ることにする。
他の看護師に事情を話して、職員通用口のカギを開けてもらい
外へ。
(面会時間が過ぎると、病院玄関にカギがかけられてしまうため) 


 それから、病院へいき、


■417日目
今日は久しぶりに病室を出て、リハビリ室にてリハビリを行ったと
隣の方に聞く。「だんだん目が澄んできてきれいだね〜」と言われる。

■421〜422日目
また、血液検査で白血球の数が減ってきたのか、病室内でのリハとなり、
食事も一人で病室で。風邪引いているヒトや熱のあるヒトもいるから食堂
に行かない方がとの配慮らしいが、逆なのでは?とも思う。
入浴も控えさせられ、「レジオレラ菌でもいるんかい?」と思ってしまう。

病室が狭いせいか、なんか閉じこめられているようだし、リハも捗らない
だろうと訴える。

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14 : 38 : 15 | 発症〜入院期の回顧録 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
三度目のリハビリ病院転院  リハビリ回顧録1
2006 / 04 / 13 ( Thu )

三たびリハビリ病院へ、シャントトラブルもなく、リハビリ最終章へ


■378日目
リハ病院の医師よりTEL有る。
白血球の数が減少しているとのこと。
飲んでいる抗けいれん剤の影響では?との事で
しばらく服用停止に。
しかし、けいれんが起こりやすくなるリスクは生じる。
(ただ、この薬は倒れる前から10数年も飲んでいるから、
いまさら副作用もないと思うのだがと伝える)

抵抗力が弱くなっているわけでから、感染症とかも心配。
「こんばんは」と言うと「こんばんは」と返ってくるように。


■381日目
(お見舞いに来ても、あまり話をしないお義父さんに
対し、もう少し声をかけるなりしないと、退院後が少し不安だと
日記に書いている。このころから在宅介護への不安を
感じているようだ)


■386日目
検査の結果、やはり白血球数が少ないこともあり、大学病院の検診を見合わせた方が良いとリハ病院の医師。わざわざ人混みの多く、風邪も流行っているこの時期に
外に出すのはかえって心配とのこと。大学病院の受診日にはCTや血液検査の結果、抗けいれん剤の件などを携え、自分一人で行くことになる。

■389日目
大学病院へ、自分一人で赴く。抗けいれん剤の投与歴なども聞く。妻は倒れる前から
テグレトールという薬を飲んでいたが、途中でフェノパールが投与されているので、理由を聞くと、後者はシロップに入れて飲めるものだからということで、錠剤ではムリなときに飲んでいたようである。血液検査を何回かリハ病院で行ってもらい、その結果、上昇してくれば他の薬の検討、横ばい、減少するようなら血液内科にも一度診てもらうことになる。
リハ病院で撮ったCTに異常は見られない。

戻ってリハ(PT)を見学。廊下で車いす〜置いたいすの間をPTに支えられ、なんとか歩いていた。右のつま先の尖足がひどいので、これがなくなるともっと安定するとの事。


■392日目
PTの先生より、専用の装具を作る話と、杖の購入の話。そこまで歩けるようになる可能性があるとは思っても見なかった。妻はなにか長々としゃべってくれるが・・・意味が全然
わからなかった。
妻と一緒に杖をカタログから選ぶことに。装具はまず型取りにくるとの事。


 


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23 : 00 : 20 | 発症〜入院期の回顧録 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
寝たい。。。
2006 / 04 / 12 ( Wed )

今日はなにかとイライラして・・・・

疲れました。(くわしくはこちら


とにかく、今やりたいことは

夜ゆっくり寝たい。。。(~O~)ふぁ・・


宵だけでも願いを叶えておくれ、

わが妻よ。

どうか、今夜はトイレに起きないで・・・


というわけで、回顧録は今日は一休み。

これから、最後のリハビリ病院滞在期〜
退院・在宅介護開始までの話になっていきます。

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23 : 04 : 09 | 介護のストレス!? | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
再びシャント解消を〜回顧録13〜
2006 / 04 / 09 ( Sun )

リハビリ病院へ戻るも、またしてもシャントトラブルに見舞われ、
水頭症再発のため、大学病院へ再び戻ることに。


■329日目
転院当日。今日になってリハビリ計画書にサインを求められる。しかも前回入院時のもの。日付も前回大学病院へ戻った後という有様。

しかも今回のは先にもらっているから、激怒する。リハの計画書だから、初めのころに回すのが普通だろうと抗議。看護師間での回覧に時間がかかった上に、急きょ転院されたからなど詫びられるが、もう再び転院する日だというのに。

先にも看護師については書いたが、どうもこの病院の体質だろうか、看護師の動きがいまいちな点が目に付く。(大学病院のICUや脳外科と比較するのが酷というものかもしれないけど)

リハのST、PTの方が転院知って、挨拶に来てくれる。また戻ってきたら、自分たちが担当したいとの事。

大学病院に着いて、入院手続きのあとは、一通りの検査。

■330〜337日目
バルブの圧設定を一番低くして、水を流れやすくして、様子を見る事に。
何度も手術をしており、出来れば即手術は避けたいとの判断。
少し脳室が小さくなってきており、水が抜けているようだとの事。
もし、詰まったら、全交換にするか、詰まった側だけにするのかなど、病院内で
カンファレンスが行われる。
食事はなかなか食べないので、再び経管栄養のチューブ挿入かと思われたが、
なんとかミキサー食から、刻み食へと移り、少しずつ食べていた。

■348日目
食事はなんとか30〜40分で食べられるようになるが、水分の摂取が少ないのが気になる。うなづきはするが、発話はない。
脳室の大きさが安定してきたこと、調子もここ1週間ほどは変わらないので、次週のCTの結果次第で、リハビリ病院3へということになる。


■351日目
CTの結果、転院のはずが一転して手術に。脳室が拡大してきているとのこと。
おそらく、シャントを全交換になるが、バルブはまた可変式にするか、低圧固定に
するかは部会で検討中とのこと。

■357日目
予定通り、朝から手術開始。
AM8:40手術室へ。

AM10:50頃、看護師のYさんが私ととともに来るようにと、手術室から連絡が
入ったとのことで、エレベータで手術室へ。「嫌な予感がする」(術中に何か起こった
のではないかという)と看護師へ言う。

このYさんはいつもてきぱきしており、説明などもしっかりしてくれ、とても気さくな
方なのに、エレベータ内では二人とも無言のまま。

手術室脇の事務室みたいな部屋に通されると、手術着のままの担当の
先生2名が。

シャントを全交換の予定だったが、頭、腹部同時にすすめていると、腹部側から
は、シャントのバルブを押すと、ポタポタと水が流れてはいたため、お腹側だけ交換することに。何度も手術しているので、極力頭側は執刀を避けたいとの事。

術中に、出血したとか、容態が急変したとかでなくてホッと胸をなでおろす。


帰りのエレベータ内では、看護師Yさんも「長いこと看護師やっているけど、途中で手術室に呼ばれたのは、初めてだったので、不謹慎ながら私も・・・」とのことで、行きは声もかけられなかったそうであるが、理由がわかって二人でホッとする。


PM1:10すぎには手術室から出てくる。酸素マスクをしており、麻酔がなかなか切れない
ようで、しばらくウトウトと眠っていた。

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22 : 38 : 43 | 発症〜入院期の回顧録 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
再びリハビリ病院へ戻るが・・・ 〜回顧録12〜
2006 / 04 / 08 ( Sat )

シャントトラブルを解消し、再びリハビリ病院へ戻る。


■281日目
再びリハビリ病院へ、転院。今回は別の棟の4症部屋に。
隣の方も気さくな方のようで安心。
ちょうど買い換え時であったので、車を買い換えて、
助手席を身障者にも対応できる車にし、この日が初乗車。
うまく乗せることができた。
食事は1時間くらいかけて食べる。まだミキサー食を
出される。


■284〜293日
年末年始+土・日の休みと言うことでなんと9日間も
リハビリが休みになる・・・・これで入院期間にカウントされて
しまうのも納得がいかない。
休み中は、昼や夜の食事の介助、車いすへの移乗などを
も手伝う。少しずつ在宅となったときの介護の準備。
この期間中に鼻からチューブを抜いてしまい、再挿入が
また出来ないと言われるが、なんとか口からものをとって
いるので、そのまま様子を見ることになる。
妻は、ようやく苦しいチューブから解放はされる。

■296日目
大学病院の外来受診へ。年明けに1回ということで赴く。
CT等に異常は見られない。

■304日目頃〜
やや寝ていることが多く、車いすにのっていても元気がない。
疲れているような感じ。また、水頭症の再発の不安がどうしても
よぎる。食もなかなか進んでいないようだ。仕事でリハビリの様子も
見ることができないため、PTの方ににメモを残してもらえるように
お願いする。
そろそろ身体障害者手帳の申請も行ってはと、リハ病院のSWより
話があり、市役所へ申請書を取りに行く。


■323日目
こちらから懇願し、担当医師やリハビリ担当(PT、OTが同席)に時間を
作って集まってもらい、話を聞く。
妻の友人であり、今は福祉専門学校の講師でもある方(OTとしてこの病院でも
以前に働いていた)からのアドバイスを基にあれこれ質問するが、
覚醒のムラ、意識レベルのムラみたいなものがあって、判断できないとの事。
リハビリも思うように効果が上がっていないようだ。
高度の脳障害なのか、何度も手術をしたせいなのか、また水がたまっているのかは
はっきりしないとの事。調子が悪くなるようなら、CTを撮ってもらえるよう依頼。
10日後の大学病院定期受診に確認はできるが、そこまでで変化があるようなら、
予定を早めるしかない。

■325日目
CTを撮ったので説明したいと医師よりTEL。
やはり脳室が拡大してきているようだが、病院間のCTの機種、画質の差などがあり
はっきりとは断定できない。専門医に任せた方が良いとのこと。大学病院へ連絡したのか
尋ねると、患者さんの方から連絡してくれと、この医師。
自分では勝手に判断して、大学病院への打診等はできないという。
どうも今回のこの医師ははっきりしないヒトだ。さっさと連絡して、受診なり、転院なり
病院間で手はずを整えてくれてもよさそうだが。

■326日目
自分で大学病院の担当医へコンタクトを取るが、あいにく手術中。心配なら予定を早め
明日診てくれることに。

■327日目
急きょ、外来受診へ。本来担当の先生は、外来診療の日ではないが、回診等を終えて
診てくれることに。CTを撮ると、やはり水がたまってきているようだとの事。
週末でもあり、ベッドの空きがでないため、一旦リハ病院へ戻り、週明けから
またしても、大学病院へ戻ることになった。


このころはずっと、水頭症の解消、水を抜くには、シャントチューブしかないのか・・・・
他に方法はないのか?なぜ妻ばかり何度もトラブルが起こるのか、
なんとかチューブの詰まりなどが起こらないようにはできないのかといった無理難題を
医師につきつけたりし、やり場のない苛立ちを覚えていた。


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シャントトラブル解消〜回顧録11〜
2006 / 04 / 06 ( Thu )

リハ病院へ転院するも1ヶ月しないうちに、水頭症再発(シャントトラブル)のため
大学病院へ戻ることに。


■253日目
リハビリ病院から、大学病院へ戻る。
リハ病院を出る際は、看護師たちは朝のミーティング中で急がしかった
せいか必要な書類だけ渡され、なんだかそっけない感じではあった。

大学病院では前にもお世話になった2Fの脳外科病棟へ。
担当の先生の一人はOP中、一人は今日は不在とのことで、
別の先生(顔はいつも見ていた)が担当し、HIV検査(入院時に最近は必要との
事で)、CT、レントゲンなどを撮る。

■258日目
シャントの詰まりを確認するため、シャントグラフィーを行う。

■259日
頭部側はチューブの詰まりもなく問題ないが、腹部側の流れが悪いのでは
との事。腹部側から、執刀し、腹部側のみのチューブ交換等で解消されれば、
頭部側はメスを入れないとのこと。しかし、その準備はしておかなければならない
ので、せっかく少しのびてきた髪もまた剃られてしまうことに・・・

■261日目
AM8:45手術室へ。
12時には終了。
お腹側のチューブを取り出し、頭部のバルブ部を押してやると水は出てきており、
少し何かが癒着していたのか、留意した場所の関係で、腸に圧迫されていたのではないかとのこと。交換はせずにそのまま先端だけを9きれいにして、戻すことにしたとの事。
頭部は開頭されずに済んだ。
酸素マスクを妙に気にしていた。反応はまだ弱く、術後は顔がむくんでいた。

■262日目
CTを見ると、明らかに脳室の上部の方の水が引いている。ナースステーションのところに
たまたまOTの方がいたので、日中リハビリは今回はずっと行っているのか聞くと、転院してきてからちゃんと行っているの事。ただ、恥ずかしいのかあまりしゃべってくれないと言っていたが、失語症のせい、声があまり出ないせいもあるだろう。


■263日目
早くも病室を3Fに移る。2Fは急性期の患者がメインのようで、容態が安定すると3Fへ
移ることになっているようだ。

■269日目
昼にようやく副食を1/3、おかゆを2,3口だけだが食べたとのこと。
昨日、一昨日は殆ど食べなかったそうなので、少しだけ進歩。
口を開け咀嚼するのにも疲れるようである。もうひと息といったところか。


■272〜273日目
このころから、ミキサー食からしだいにきざみ食になってくるが、食べるペースは
遅く、あまりに遅いので本人も食べ疲れるようで、全量は食べられない。おかゆよりも
おかずの方を食べるようになってきた。

リハ病院では、鼻から経管栄養のチューブを入れているから、発話や咀嚼・嚥下等の改善も進まだろうから、「胃ろう」にするように勧められるが、ネットで調べたりもしたが、大学病院の先生の話を伺うと、少し口からも食事を取りはじめたし、お腹にも左右2カ所にシャントのチューブが入っているので、また手術したり、キズつけるのもどうかとの事。この後戻ることになるリハ病院の医師にはその旨意見書を書いてくれることになった。

■281日目
年末もおしせまっていて、リハ病院も年末年始はリハビリ自体が休みになるとのことで、大学病院で年を越せるかと思ったが、互いの病院のベッドの関係で、クリスマス・イブにリハ病院へ再転院となった。
これが、私へのクリスマスプレゼントであった。


しかし、年が明けまたしても、大学病院へ戻ることになるとは、この時は考えもしなかった。


 


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リハビリ病院転院、そして神のいたずら再び 〜回顧録10〜
2006 / 04 / 04 ( Tue )

ようやくリハビリ病院へ、しかしそれもつかの間・・・・

■216日
リハビリ病院へ転院。事務手続きのあと、2床部屋へ案内される。
差額ベット代が生じるのでは?ときくと、
旧館であること、メインのナースステーションからやや遠いので差額ベット代は
かからないとの事。
主治医の診断があり、これにより今できること、できないことが明確になったのと、
現実を目の当たりにされる。お義父さんは入り口付近、義妹も廊下で子供をあや
していたので、もっと中にはいって見るように促す。
看護師からも、発症からの経緯、前の病院での状況、食事のことなど問診を受ける。
子供がぐずってきたので昼で義妹とともにお義父さんも帰ることに。


■217日目
昨日、あいさつしたはずの同室の方より、「なんで知らない男のヒトがいるんだ?」、

「もう面会の時間はとっくに終わっている(まだ30分有る)」、
「ヒトのズボンを取るな(ヘルパーが、妻に間違って、隣のヒトのズボンを
着替えさせていたのが原因)」などと言われ、ナースコールを押され、
しまいには「このヒトは私の言っていることが分かっていない、日本人じゃないだろ」
とまで言われるが、何らかの脳障害が残っていてリハビリをされているのであろう
患者さんの言うことなので、ぐっと堪える。

■219日目
上記のことがあってか、病室が変更となった。経管栄養のチューブを鼻から抜いてしまうので、左手を拘束することになる。


■224日目


夕方、義妹よりケータイにTELあり。
鼻のチューブを抜いて、ここの病院では再挿入ができなくなったとのことで、大学病院の
耳鼻科へ連れて行くよう義妹にリハ病院から電話があって連れて行ったとの事。
なぜリハ病院では出来なかったのか、またなぜ自分に先ず連絡しないのか、しかも戻って
きても、全く連絡しないのかをリハ病院へ問いただす。
しかも脳外科からきた患者を耳鼻科に回してどうする。
「だんなさんは仕事で忙しいだろうから」と看護師が気を回して勝手に判断したようだ。
しかし、妻は保険証も持っていないわけで、ちょうど2日後に脳外科の外来に行く予定があったので、そのときに提出するということで了承してもらったらしい。


■226日目
脳外科外来へ、CTの結果異常はなし。
ここで、先生が妻に名前を尋ねたところ、「○○○」となんとかかすれた小さな声で
答えた!!これには自分も聞いた先生もびっくり!
年齢も聞かれると口をパクパクさせて、必死に何かを言いたそうであった。
倒れてから、初めて声を聞くことが出来た日であった。
リハ病院に戻ってから、自分が居ることに気づかなかったようで、隣の方が家族に看護師の悪口の他、隣のヒトが何もしゃべらなくてつまらないなどとと言っているのが聞こえる。
どうか妻に聞こえないところで、おっしゃってくださいませ。


■230〜240日目
食事もヨーグルトからおかゆなど少々口にできるようになる。
部屋にポータブルトイレがおいてあって、これを用いて或いは車いすに乗せられて移動して
トイレでの時間誘導が行われ始めるが、まだまだ。
左手の動きが活発になり、鼻から入れているチューブが苦しいのだろう、何度も
抜こうと手を縛ってもがくので、とうとうネット状のカバーを手にはめることに。


■244日頃
疲れているのか、うとうととしているような、眠そうな表情が目立つように。
また調子が悪くなっているのではと不安になる。
OTの方の話を聞くと、やや立つ練習などしても覇気がなく、やる気が
ないようである、「指示が入らない」(リハビリの担当からはよくこの表現
を聞いた、要は意識のレベルが低下しているせいで、リハビリの指示が
理解できていない、伝わらないということ)
ようだとの事。

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リハビリ病院へ〜回顧録9〜
2006 / 04 / 02 ( Sun )

転院の話がでてきても、妻は口が硬直して開けられず、今だ
経管栄養のまま。退院までに少しずつ口から何か摂れるように
ということに。


■200日目
ナースステーションで挨拶をした看護師が「だんなさーん」といいながら
病室へ入ってくる。
「今日は氷片を口から摂ることができましたよ!」と第一声。

ここまで、200日。このときももううれしくて、うれしくて。
看護師さんも同じ思いだったのだろう、声のトーンが弾んでいた。


動く左手で、自分で食べられるようになるといいですねとの事。
ここから、食事に関しては第一歩となる。


■203日目
今日はプリンを2,3口食べられたそうだ。
ただ、舌を使って奥へ押し込む動作が上手くできていないようだ
と看護師。

■204、205日目
左手でスプーンをもって、数口ならプリンを食べることが出来るよう
になる。また、パジャマのボタンも1,2つならゆっくりではあるが、
止め外しができるようになったとの事。


■206日目
リハビリのA病院への紹介書をもらい、見学の日を予約する。
誤飲のないようにするといった食事、口腔の療養計画について
看護師から改めて説明を受け、了承する。

■209日目
A病院へ見学へ。年輩のSWの方が対応。第一印象はやや事務的で
役所的な感じのする方だった。発症からのこと、症状、現状について
詳しく聞かれる。
この病院も本来は発症後3ヶ月以内の方しか受け入れられないこと、
リハビリ期間も3ヶ月が目処であること、2ヶ月目にはその先のことを
相談していくことなど、足早に説明を受ける。まだ若いのと、同市内の近くに
住んでいるとのことから、ここの院長がなんとかしてあげたいと
の考えを持っている、受入れようとのことらしい。
別の若いSWの方に院内を案内してもらう。

本館?の建物は古いが、新館には日当たりの良いリハ室もある。
この新館ができてから、リハビリ師も増え、STも5〜6名おり
言語療法も盛んに行っているようだ。病室内は患者のプライバシーの
問題もあるので案内してもらえなかったが、一般病室はいずれも4床との事。
廊下ですれちがう患者さんは、申し訳ないがやはり高齢の方ばかり・・・
自分がもっとも懸念していた言語療法がしっかり行ってもらえそうであった。
うちへ帰ってから、その印象を大学病院のSWへ連絡し、面会時には
先生にも報告する。


■212日
A病院から電話があり、病床も空くので、受け入れOKとの事。
(後で聞いたのだが、若さ故に、可能性も残っているので、早くリハビリを
行った方が良いと優先的に順が回ってきたようであった。)
大学病院に着いてから、本人にも伝える。
分かっているのかいないのか?だったが、うなづいてはくれる。

■215日
いよいよ明日退院。病室でちょうどヨーグルトを食べさせるところだった
ので、だんなさんもやってみますかということで、看護師に代わって
介助。6口ほど食したところで、疲れたのかもういいといった感じの
反応。ベッドの背もたれがやや立ちすぎていると感じたので、少し
寝かせる。急患のため、最後の医師の話がきけず、これも明日となり
明日の朝は入院費の精算など、どたばたとしそうだ。

リハビリのA病院へやっと転院。このときはすぐに
舞い戻ることになろうとは思いもしなかった。

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退院に向かって 〜回顧録8〜
2006 / 04 / 01 ( Sat )

神経内視鏡により、左右側脳室の壁に穴を開け、左右の交通を
付け、かつシャントの詰まりを解消したが、一向に調子は
上がってこない。


■160日
右側脳室の方のシャントが詰まっているのではとCTやシャントグラフィ
を行うが、流れてはいるようである。しかし、バルブの圧の設定を
一番下げても、流れは良くならない。完全に詰まってなくても
閉塞ぎみということで、再度シャントを入れ替えることになる。
腹部側だけで済みそうとの話。


■164日
明日の手術予定が、緊急手術のため、麻酔医が空かないとのことで
延期に。

■167日目
2日遅れで、手術となる。
AM9時からの予定だったが、救急車で運ばれてきた方の
緊急オペのため、その後となる。

結局、手術室に向かったのは、PM2時半。
5時半には戻ってきて、先生より説明をきく。
予定通り、腹部側しか開けなかったが、チューブを引き出し

頭部のバルブを押すと、いきおいよく水(髄液)が出てきたとのこと
で、チューブの取り替えは行わず、そのまま戻した形となる。

なんだかすっきりしない手術であった。詰まってしまったり、
流れが悪くなっても皮膚の下だから、そのたびに開頭や開腹して
シャントを替えたり、チューブを替えたりせねばならない。
水頭症の症者の宿命なのだろうか。

絶対、水がたまらないように、再発、トラブルが起こらないように、
治療ができればいいのだが、今の医療技術でもムリのようだ。


■176日目
動く左手で、鼻から入れている経管栄養のチューブを抜いたり、
お腹の手術の傷跡のガーゼをはいだり、ひっかいたりと、危険な
ため、左手をゆるく柵に縛ることに。これには、身体拘束の同意書
が必要とのことで、了承のサインをする。
かわいそうだが、他の危険度が高いので仕方ないと思う。


■183日目
脳室の大きさも完全に水が抜けたわけではないが、ある程度小さくなっ
てきてその状態で、安定しているので、2〜3週間様子をみて
リハビリの病院への転院し、リハビリを行きましょうということに。
少し前から、SW(医療相談員)や医師と話をしていたが、

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